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プロフィール

プロフィール

山本 響子

Yamamoto Kyoko

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1968年東京生まれの千葉県育ち。

学生時代、アジア・ヨーロッパ数ヵ国をのべ1ヵ月間渡り歩いたバックパック旅行で、各地の生活文化や「色」「音」「匂い」に刺激を受け、諸外国への関心を深める。

23年間勤めた輸入雑貨専門店(旧:ソニープラザ)では、その興味関心を生かし、商品企画、海外買い付けに従事。マーケティング、Eコマース、広報・販促にも携わり、気まぐれな“女ゴコロ”にいかにリーチし“買い物スイッチ”を押させるかという壮大かつ難解(笑)なテーマに向き合い続ける。

2014年同社を退職。2年間の内省・準備期間を経て、2016年 HEAL & TUNE(ヒールアンドチューン)設立。会社員時代に引き続き<女性>の豊かで幸せな人生をサポートすることをミッションに、日々活動している。

東京都杉並区在住。一男一ワン(犬)の母。

Access

杉並区高円寺南1丁目
東京メトロ丸ノ内線「東高円寺」駅徒歩1分


My Life Story

仕事もプライベートも、肝心なところで「NO」が言えないまま
自分らしさを失いかけていた私に転機が訪れたのは2014年、45歳の時。
23年間勤めた会社を辞め、13年間の結婚生活を解消し、
自分を取り戻すべく魂の声にしっかり耳を傾けると、人生が少しずつ好転し始めました。

自らの思考のクセや何度も繰り返す苦難のパターンに気づき、
後に自分を取り戻す大きなきっかけになったセラピー「イヤーコーニング」の提供と
「神聖幾何学マンダラアート」の伝授の2つを柱に、
2016年よりクライアント様の「自分軸の取り戻し」「愛すべき自分への回帰」を
サポートさせていただいています。

また、2022年からは、スピリチュアルライフコーチ 礒一明(https://kaziso.jp/)氏直接指導のもと、
自らもコーチとしての活動を開始。
母として、妻として、そして一人の女性として……波瀾万丈、
いろいろありながらもここまで生きてきた「私」という存在すべてで、
「自分らしくありたい」と願うすべての女性を幸せへと導くお手伝いをさせていただいています。


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メニュー内容

ご要望に応じ、イヤーコーニングとライフコーチング、マンダラアートとライフコーチングを組み合わせたカスタマイズセッションも行わせていただいています。

My Life Story

Prologue

紆余曲折の連続 波瀾万丈な半生

私は、現在54歳。高校生の一人息子と犬と、東京の片隅で暮らすシングルマザーです。

今でこそ「幸せです」とはっきり言えますが、52歳までの半生は紆余曲折の連続、じつに波瀾万丈なものでした。

入学したばかりの小学校で1年間にわたり執拗で劣悪ないじめに遭ったこと、男子の暴力で右眼を怪我し長年眼科へ通ったこと、男子よりも体格のよかった10代前半容姿をけなされ続け自信喪失になったこと、

理不尽な男性教師の暴言・体罰、中学で再び経験したいじめ、受験失敗、父のモラハラ・男尊女卑、フラれ続ける恋愛氷河期、やっと出会った「運命の人」と電撃結婚するも共依存に陥り関係悪化、夫の病やDVと常に向き合い続けた結婚生活、幼い息子への悪影響、そして離婚。

さまざまな場面で「男性」への不信感を募らせ、時にそれが恐怖にもなり、私の「女性」としての自信やエネルギーを失い、人生そのものにもだんだんと希望を見出せなくなっていきました。

Chapter.01

否定された 「専業主婦願望」

今振り返れば信じられませんが、学生時代の私は「卒業したら結婚して専業主婦になる」ことこそが「オンナの幸せ」だと思っていました。

生まれ育った実家で、専業主婦だった母は、父をサポートしながらも趣味や習い事、友達との外出など好きなことをし、とても幸せそうに見えていて、私も当然、同じ道を歩むのだと思い込んでいたのです。

が、「専業主婦だなんて、何言ってるの? 今どきの女子大生が就職の一つもしないで、どうするの? ちゃんと働きなさい」と母の猛反対を受けたのをきっかけに、仕方なく人並みに就職活動をした私は、生活雑貨の輸入販売を通じて「女性のライフスタイル提案」をする企業に「腰掛け」前提(3年内に寿退社を夢見て!)で入社。

それまでの人生同様、就職活動もすんなりは行かず、挫折もありながら、最終的には当初まったく行く気はなく「キープ」「滑り止め」程度にしか考えていなかった(今思えばなんと失礼な!)その会社に入ることになるとは、

しかも「女性のライフスタイル」「オンナの幸せ」をバックアップすることそのものが事業である企業で働くことになるなるとは……。神の采配はすごい! 今でこそそう思えますが、

当時の私は、希望上位5社に全て振られまくった挙句の「滑り止め」への入社に、そんな意味を感じるわけもなく、ここでもまた「人生は思った通りにはならない」「私は必要とされているのだろうか」…そんな軽い失望と不安を抱いていました。

Chapter.02

「腰掛け」前提 「寿退社」のはずが…

なんとなくスッキリしない気持ちのまま入社した私でしたが、社風にも人間関係にも、意外にもなじむことができ、1年、2年と社歴を重ねるうちに、その会社の事業と自分の仕事に愛着さえ感じるようになっていきました。

顧客が9割以上女性だったこと、従業員も女性が多かったこと、取引先に優秀なキャリアウーマンが多かったこともあり、図らずも、仕事を通して女性の「心理」を理解すること、女性の「生き方」「働き方」をさまざまな角度から捉え・観察する機会を多く持つようになります。

「腰掛け」前提、そのうち「寿退社」と言っていた私はどこへやら……、仕事に明け暮れ、稼いだお金は全て自分へ投資し、理想のライフスタイルを追いかけ、気づけば、30歳を過ぎていました。そう、いわゆる<バリキャリ>です。入社当時に「結婚もせずにそんなに長く働くの?」と驚いた、先輩社員の歳をとうに超え、それこそ結婚もせずに……笑。

仕事もそこそこ楽しく、順調で、さすがにもう「寿退社」を狙う気持ちはなくなっていましたが、女性たるもの「結婚してなんぼ」の価値観を根強く持ち続けていた私。仕事中心の生活を送る傍ら、地道に「パートナー探し」の旅は続けていました。

でも、旅は極めて難航していました。

Chapter.03

「恋愛氷河期」からの 一発逆転「電撃結婚」

「難航」し始めたのは25歳のとき。当時付き合っていた彼に突然フラれるという体験をしてからというもの、私の恋愛はまったくうまくいかなくなったのです。

以来、7年間におよぶ不遇の時代、恋愛氷河期の間、自分の中では「モテない女」「必要とされない女」「不幸な女」というセルフイメージが幅を効かせるようになります。

「女性がイキイキ美しく生きるためのライフスタイル提案」という仕事に従事しながら、自らがそれを実感できていないことに、私はだんだんとジレンマを感じ始めます。

そして、引き続き「結婚してなんぼ」という価値観にがんじがらめになっていた私は、徐々に焦り始めました。

そんな中、32歳の春に元夫と出会い、2ヵ月で電撃結婚。脱・恋愛氷河期!「結婚してなんぼ」をようやく実現、人生の春到来です。

Chapter.04

「オンナの幸せ」とは程遠い、 悪夢のような日々

めでたしめでたし、これでやっと幸せな日々を送れるかと思いきや、そうは問屋が卸しませんでした。

厄介な精神病2つと幼少期のトラウマを抱え、妻である私が常に側にいないと生きていけないと感じる夫と、どんな理由でもいい、自分を必要とする人がいることが自分の存在意義だと感じる私との、共依存の関係が始まったのです。

お互いが高め合うどころか、それぞれの足を引っ張り合ってしまうその関係性は、一歩引いて見れば明らかに不健全なものでしたが、渦中にいる私はそのこともわからず「なぜ自分の人生はこうもうまくいかないの?」「どうしたら抜け出すことができるの?」と、自問自答を繰り返す日々。

結果として、そんな不健全な夫婦関係のもとに育った息子が不登校になるという、まさに機能不全家族の典型のようなサイクルを生んでいました。悪化する一方の夫の病気、夫婦不仲、DV、息子の不登校……「オンナの幸せ」とは程遠い、悪夢のような日々でした。

Chapter.05

神様による 強制終了

そして結婚から13年が経ったある日、「神の采配」「神様による強制終了」としか思えないある事件が起き、図らずも、離婚話を自分から切り出すことに。それまで「NO」の一言も言えなかった私が、気づけば「もう無理です、離婚してください」、はっきりとそう言っていました。

結婚生活にピリオドを打つことを決めた私は、一気に気持ちがラクに、自由になりました。それまで先が見えなかった自分の未来がパーッと開ける感覚、視界がクリアになる感覚がありました。

そんな心境の変化も影響したのでしょうか、少し前からいくつかの理由で当時の職場に限界を感じ始めていた私は、「この際、何もかも全部リセットしたい!」という思いを強くします。

次の仕事も決まっていないのにその会社を急きょ退職することを、誰にも相談することなく、あっという間に決めてしまったのです。

今思えば、あまりに無謀です。これから離婚してシングルマザーになるというのに、次の働き口も見つけないまま辞めるなんて……。

周りもビックリすると同時に「もしいろいろキツいなら、いきなり退職じゃなくても、まずは休職とかからやってみたら?」と、もっともなアドバイスをしてくれるのですが、いったんそうと決めた私の心はもう動きません。

離婚決定から3ヵ月後、依然として次の仕事など決まっていない状態で、上司や同僚に心配されながら、私は退職しました。1991年に新卒で入社してから、ちょうど23年が経っていました。

Chapter.06

時給550円の シングルマザー

退職後の仕事については何一つ決めていなかった私。「絶対なんとかなる。困ったらスーパーのレジ打ちをすればいい」と、根拠のない自信と持ち前の楽天的な気質だけは人一倍あったものの、今日から実際に何をすればいいのか、全くわかっていませんでした。

決めていたことといえば、離婚前後の家庭内のゴタゴタで心身ともにおかしくなりかけていた当時小3の息子のそばにいてやることを最優先にすべく「完全在宅」でできることをしようという、ただそれだけ。

SOHOという言葉が流行っていた時代でもありましたので、ネット上で仕事を探すことはさほど難しいことではありませんでした。文字起こし、データ入力、資料作成代行、せどり、SNSの見張り番……等々、できそうなことは片っ端からやりました。

しかし……やってもやっても、お金にならない。時給制ならまだしも、出来高制になると、ハズレを引いてしまうと悲惨なことになる……SOHOの落とし穴に、早くも気づくことになります。

夜も寝ずに頑張ってやっても、時給換算すると1時間550円、なんていうこともあり、「会社員って、なんて恵まれているんだ!」と思わざるを得ない、報われない日々。

元に戻るつもりはさらさらなかったけれど、ついこの前まではバリバリキャリアウーマンだった私が「時給550円のシングルマザー」になった現実に、普通なら落ち込み失望しかけるのかもしれませんが、当時の私は、なぜかそんな状況すら楽しんでいました。

それだけ「自由」の二文字が、私には何物にも代え難いギフトだったのです。

Chapter.07

「完全在宅」で 収入アップ!

さすがに「時給550円」は脱出したいと(苦笑)、なんとか少しでも収入を上げられる在宅業務を必死に探した私は、「在宅秘書」という仕事があることを知ります。

これも今となっては当たり前の働き方ですが、2015年当時はまだまだ珍しく、募集もそんなにたくさんあるわけではありませんでした。

その中の一案件に応募、ありがたくも採用していただき、それを機に時給が大幅にアップ。フルタイムの正社員に比べればまだまだですが、頑張れば契約社員ぐらいの報酬は得られる環境に、やっと移行することができました。

その後、ご縁あってWEBマーケティング、商品企画やプロモーション、協会の事務局業務、著名人のSNS投稿代行など、パソコンだけあれば「完全在宅」でできる仕事を、たくさん請け負わせていただく機会に恵まれました。

そして、そのすべてに共通しているのが、「女性の生き方・ライフスタイルの提案・サポート」でした。そう、23年間の会社員時代に扱ってきた世界と、ベースがほぼ同じだったのです。

「呼ばれた」のか、私の嗅覚が敏感に「嗅ぎ分けた」のか(笑)わかりませんが、どれもみな「あ、この世界なら私にもわかる」「この分野なら役に立てそう」というお仕事でした。シングルマザーで子どもを育てるため、食べていくために、大きな無理をせずにできる仕事をいただけたことは、本当にありがたいことでした。

それらの仕事に触れるなかで、また関係する人々に会うなかで、私は少しずつ過去の傷を癒やし、女性に生まれたことの意味を感じ始め、人生への希望を再び取り戻していきました。

Chapter.08

点と点が線で つながる感覚

そして、精神的にも徐々に落ち着き、ようやく自分らしさを取り戻し始めた私に、転機が訪れます。前述した請負業務の一環で、たまたま担当することになった「心の世界」を扱う仕事で、心理療法に触れる機会があったのです。

そこで学んだ心理学の視点から自分の人生・行動を振り返ってみると、それまで自分がやってきたこと、「欠乏感」を埋めるための手段として無意識のうちに結婚生活を選んだこと、その相手とあっけなく共依存関係に陥ったこと、

また、その不健康なエネルギー交流の中で息子に大変な思いをさせたこと、そこから不登校につながったこと……等々、自分の人生で起きたことが何だったのか、点と点が線でつながるようにわかっていくようになりました。

「オンナの幸せ」を追い求めていたはずの私が、実はそれには程遠い、まったく真逆の言動を自らしていたことを知り、愕然としました。

Chapter.09

「受ける」側から 「施す」側へ

また同時期に、いくつかのヒーリングメソッドにも出会います。長年にわたり傷ついた自らを癒すべく、もともとは「受ける」専門だった私が、自ら「施したい」と感じ、学び、資格を取得するに至ったものもいくつかあります。

私自身、それらを実際に受け、また施術・提供する側となってみて感じたのは、心も体も、しかるべき方法で癒すことができるということ。

心も体も、過去にどんな経験をして、そして傷ついたとしても、それらをリセットし、最適化し、最高の状態まで戻すことはできるということでした。

また、そのためには、心のしくみ、体のしくみを理解することも必要で、そのうえでメソッドを用いることが大切だということでした。

Chapter.10

スピリチュアルライフコーチ という生き方

そんな折、ライフコーチという職業、なかでもよりスピリチュアルな視点から人生のしくみを紐解き、その人らしい生き方の選択をお手伝いするスピリチュアルライフコーチという役目があることを知り、今世での私の使命の一つはこれだと確信。

学びを深めるうち、人生にはもともと法則のようなものがあり、しくみがあり、見えない力が働いているということ、そうした見えない部分も含めて、人生について、宇宙の法則について、理解をすればするほど、この世を愉快に楽に生きるための答え、ヒントが見つかるということに気づいていきます。

すると、それまで私の中にたくさんの「点」という形で入ってきていた知識が、だんだん「線」としてつながり始めました。そして、自分の中でも体系的に、人生はどんなしくみになっているのか、こんな場合はどうやったら改善できるのか、自身へはもちろん人にもアドバイスできるレベルまで、人生の理解が深まっていきました。

このような経験から私は、もし仮に、人生が一時的に本来の道から外れたとしても、また、生きづらくなったとしても、それを心から、体から、ヒーリングし、セラピーすることによって、よりよくすることは可能だと考えるようになり、そして、そんなお手伝いこそが私の使命だと今では確信しています。

今、あなたが人生のどんな状況にあったとしても、それを改善すること、よりよい状態にすることはできます。心からも体からも、そのアプローチは可能ですし、また、私なら、そのための具体的な方法・道筋をお示しすることもできます。ぜひそれを信じて、あなたらしく輝く人生への一歩を、一日も早く踏み出していただきたいと心から願います。

Epilogue

逆境はオンナを上げる、 試練は人を美しくする

1年間にわたり劣悪ないじめを受けた小1から始まって、一家の全財産喪失というハプニングで神様に結婚生活を強制終了された46歳まで、じつにいろいろなことがありました。

私自身、もともと楽天的で「なるようになるさ!」「ケ・セラセラ」と思える性格ですが、決して「順風満帆」とは言えない40数年間の人生に、さすがに途中でくじけ、「なんで私ばかりが?」と恨み言を言い、神様を憎んだ時期もありました。

でも、それも今となって振り返ってみれば、すべて私が決めたこと。正確に言えば、私のスピリット(魂)が、生まれる遥か前から「こうしよう」と決めてきていた人生の計画図なのだということが腑に落ち、「それゆえ、こんな出来事をわざわざ選んできたのだね」と、自分自身を愛おしくさえ感じます。

波瀾万丈、逆境だらけの私でしたが、今は幸せです。ライフコーチングを自らも受けることで、かつての私だったら考えられないような、思考の転換、価値観の入れ替え、信念の書き換えを行うことで、見える世界が180度変わりました。

試練は人を美しくします。数々の逆境が私の女っぷりを上げてくれた!とも思います(笑)。今では、過去の艱難辛苦すべてに「感謝」しています。

オンナに生まれたからには、オンナの幸せを味わい尽くしたい! 我慢や遠慮はもうやめて、自然体の自分で人生をたのしみたい!

もちろん、女性に限ったことではありません。男性には男性の幸せ、人生がありますね。仕事、家庭、お金、人間関係……人それぞれ、変えたい現実、果たしたい願望があることでしょう。

はい、いつからでも、どなたにも、それは可能です。「今」と「未来」に目を向けて(どんなに悔やんでも過去は変えられませんので!)「さぁ、幸せになるよ!楽しむよ!」と、今すぐ決断してくださいね!

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