私はわりとおじさま方に声をかけられる。
話しかけやすいんだろうか😝
7月からウォーキング(一部ランニング)を始めてから
その傾向が顕著に。
先日は橋の上で休んでいたら
バリバリランナーふうのスラッと背の高いおじさま。
天気の話くらいしかしなかったけど
外見どおりとても紳士的な方。
話終わると軽快に走り去って行かれた。
昨日は、道に迷ったおじさま。
スマホでナビしてあげたけど
曲がりくねった川沿いを
ちゃんと目的地まで行けたかな〜
そして今朝は、テニスラケットを持ったおじさま。
復路、私が少しゆっくり歩いていたら
いきなりランニングの話をしてきた。
体型から何となくアスリートふうだったので尋ねたら、
やはり若い頃は長距離ランナーで、
今は走ってなくてテニスの壁打ちを毎朝してるんだそう。
9時の開場までまだ30分以上もありますよね?
と言ったら、
「30分なんてフツーだよ
かみさんが、早く出て行けって言うんだもん!
もうさぁ居場所がないのよ〜
アハハ〜!」
明るくおっしゃる。
「亭主元気で留守がいいって言いますもんね」
「そうそう」
そんなおじさま、
お家に帰ればきっと優しいお料理上手な奥様が
待っていて、おしどり夫婦に違いない。
(と、私の想像。たぶん当たってるよ!)
* * *
ウチは元夫が
心身ともに患っていた時期がとても長かったから
「元気で留守」とは真逆だった。
「亭主元気で留守がいい」
のフレーズを人が言うのを耳にするたび、
なんだかとても羨ましかったし
自分ちにその状態は無縁だとも思っていた。
そして、ひとつ屋根の下にいる時間が長引けば
煮詰まり、互いに不平不満が爆発し、
喧嘩になり、、、悪循環。
今思えば、いくらでも意識の切り替え方とか
気の持ちようとかあったよなぁと思うけど、
当時は必死だった。
彼も私も、必死だった。
未熟だった。
そして、その一部始終を見ていたムスコが
いちばんの被害者だっということも、
今はわかる。
本当に申し訳ないことをした。
そんな「オトナ」をどうやって信じろと言うのか、
分からなくて当然だ。
だから私は「信じられるオトナ」に
まず自分自身がなって、
ムスコが世の中のオトナ全員を
信じられるようになるよう導くのが
私のできるせめてもの償いだと思っている。
* * *
今年は「コロナ離婚」なんて言葉も生まれた。
一緒にいる時間が急に増えて息詰まり
いろいろと衝突が増えたと。
その渦中にいる人たちもまた
今は必死なんだろう。
でも、「元気で留守」なばかりが
夫の、妻の、理想の姿ではないことだけは
覚えておいたらいいと思う。
そして、「かまってほしいから病む」という
現実を無意識のうちに自ら創り出すこともまた
いかに不毛で、罪深いことかということも。
結婚と離婚から学んだ
良きことも悪きことも、
いま改めてムスコというフィルターを通して
学び直しているのだなぁと感じている。